このように侘を理解し、楽しんだ当時の茶人は、茶室を建てるにも茶庭をつくるにも常に侘に立脚したものでした。
そして茶室も茶庭も実用を目的としていましたが、しかし決して単に実用実用といってばかりいたのではありませんでした。
ただ無闇に実用ばかり主張して満足するほど無趣味でもなく、つまり茶室の環境をあくまで自然らしく残さねばならないので、そこに種々の工夫があり、材料の選択に苦心せざるを得なかったのです。
以上のことなどから、利休のころには完成された侘主義の茶庭がいかなる方針を持ってつくられたものかはわかりますが、茶会というものは昼も夜も、また払暁にも催されたので、当然照明の必要を感じたのです。
そこで茶人たちは、どうすれば侘の趣味にもかない、同時に実用上にも効果のある照明設備を生み出せるかということについて幾多の苦心をした後、ついに思いついたのが社寺の献燈を利用することでありました。
近畿地方の社寺には、献燈として至る所の宝前に石燈籠が建てられていましたが、桃山時代には相当古い時代の社寺が残存していて、中には廃寺などに所有者も不明のものさえ少なからずありました。
これに目を付けたのが当時の茶人であり、紹鷗(じょうおう)や利休のごとき審美眼の高い人々の指導によって優秀な石灯籠が選ばれ、それが基準となって、彼らの門人たちも争って諸国にこれを求めだしました。
そして閑寂を尊ぶ茶庭の照明器具として愛用されましたが、これが昼間においても茶庭の気分を損なわないばかりか、一層侘びた景観を作り出すため、巧みに利用されることになったのです。
・竹野紹鷗(たけのじょうおう)・・・戦国時代の堺の豪商
・写真:茶庭「四季の美」より
※ここの記載は参考としてください。
※引用:ガーデンライブラリ(龍居庭園研究所)
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